2007/11/02

ファミレスで逢いましょう

 「お待たせしましたぁこちらココナッツグリーンカレーになりまぁす」
クソ面白くもなさそうにバイトの女子高生は“で?どっちに置けばいいワケ?”とでも言いたげな表情でテーブルを見つめるだけなのだった。俺はちょうどクラッシュアイスと水を口に含んでいて、右下の奥歯に凍みるのがイヤで氷の粒を噛み砕けずに、そっちに置いてと言ってあげたくても喋れない状態。このテーブル担当なのであろうこの子が最初にお冷やのグラスを乱暴に置いた時点で彼女は少し片眉をつり上げていた。私のです、とか、こっちです、とか一言言ってあげさえすればこの場が丸く治まるのはわかっているだろうに、彼女は何故黙っているのだろう。
「あのぉ…ココナッツグリーンカレーになりますがぁ」
テーブルに広げた資料に目を通しながら視線を上げないままで彼女がやっと口を開いた。
「いつよ。」 
「はぁ?」
「だからいつココナッツグリーンカレーになるのよ。」 
「はぁ?」
「ココナッツグリーンカレーになるんでしょ?なってから持ってきてほしいわね。」
さすがに何を言われているか気づいたのだろう。チェリーピンクのグロスをたっぷりと塗り込めた金魚のクチビルをもつ結構カワイイ女子高生は、ムッとした顔でカレー皿を彼女の前に置いてスタスタと厨房の方へ立ち去った。アイボリーの皿は彼女が見ている資料の上に乗っかっている。俺はとりあえずタバコでも、と尻ポケットを探ろうとしたが、彼女が待っていたこの席が禁煙ブースであったことを思い出して、行き場を失った手で仕方なく首の後ろあたりを意味あなくポリポリ掻いてみるしかない。

「お待たせ致しました。昭和の懐かしライスカレーです。お客様のご注文でございますか」
今度はまたどうしてこんな所で働いているのだろうと思えるほど品の良さそうなパートの奥さんがやって来た。俺の目を見て柔らかな微笑みで確認してから、そっと音を立てないように銀色の楕円の皿を置く。女子高生からヘルプ要請が入ったんだなきっと。
 その時彼女がやっと顔を上げた。昔の彼女を彷彿させるような華やいだ微笑みを見て、俺は少し安心した。しかし、仕事の邪魔にならぬよう髪を後ろに引っつめている薄化粧のパートの奥さんに、彼女は丁寧にこう話しかけた。
「ありがとう。美味しそうね。これ見て下さる?」
彼女は資料の上に乗っかったままの皿を指した。
「さっきの女の子がここに置いていったのよ。大事な仕事の資料の上に。」
彼女は微笑んだままだ。
「申しわけございません!」
パートの奥さんは慌ててその皿に手を伸ばしかけたが、彼女は制止した。
「いいの。このままにしておいて。この店の店長を呼んで下さる?」

 俺がしたことといったら、噛み砕けないクラッシュアイスが溶けてしまうのを待ちながら昭和の懐かしライスカレーを福神漬けとのバランスを考えながらゆっくり食べたこと。食べながらコトの一部始終を一応聞いていたこと。バイトの子がふて腐れながら店長の横で頭を下げるのを気の毒に思ったこと。店長がドランクドラゴンの塚地に似ていると思ったこと。パートの奥さんが晴れ晴れした顔でその様子をバックヤードの脇から覗いているのが見えてしまい、なんだかゲンナリしてしまったこと。食べ終わってからもまだ氷が残っていたので注意深く上唇で除けながら水を飲んだこと。頼んでもいないのに食後に出されたデザートの洋梨のグラニテっていうやつの飾りのミントの葉を彼女にあげてからグラニテってなんだ?と彼女に聞けないまま、それを口の中の左側でシャリシャリと食べたこと。食べられることのなかったココナッツグリーンカレーの行方はゴミ箱だろうか厨房のバイトの腹の中だろうかと想像したこと。そんな感じかな。どんな感じだよって言われてもそんな感じでしたとしか言いようがない。
 彼女は店長からのサービスのキャラメルラテを飲んでいる。その横にはこのチェーンの1000円分の食事券が3枚。
 カレー皿の下敷きになった資料を示しつつ、彼女が熱意をもって俺に説明している内容というのは、簡単に言えばどうやら彼女が所属する団体への勧誘らしい。3日前に高校の同級生だった彼女から突然俺の実家に電話があった。上品で丁寧な彼女の話しぶりに好感を持った母親がつい俺の携帯番号を教えてしまったのだ。その知らせに少し怒りながらも彼女からの連絡を待ってオレがついウキウキしてしまったことは事実だ。
 まぁなんつうか。カモにされた、って結末らしいな。俺は俺に耳打ちして笑ってしまった。その笑いのタイミングがちょうど彼女の話のどこかに合致していたと気づいたのは、彼女の次のセリフを聞いた後だった。
「ね、綾瀬クンもそう思うでしょ?世界にはね、今この瞬間も食糧難で餓死している子供達が何千万人もいるのよ。私達がこうしている間にも、どこかでたくさんの人々が亡くなっているの。どう?私と一緒に一人でも多くの子供達を救うために頑張ってみない?」
俺は微笑んだ。凄いね。おまえスゲー頑張ってるよ正しいよ。彼女も微笑んだ。ありがとう。綾瀬クンと一緒ならもっと頑張れそうよ私。俺は彼女に手をさしのべた。彼女が頷いて満足げに握手してくれた。相変わらずやっぱりキレイだった。
「今日はさんきゅ。ごちそうさん。これもらってくよ。俺も飢えたガキだからさ」
 店を出る時に押した木のドアの上から、カランコロンとのどかな牧場の音がした。店に入る時はきっとこの音に気づかないほどワクワクしてたんだな、と思うとちょっぴり切なくなった。高校時代、陸上部の男はみんな彼女に惚れていたっけ。その頃の彼女の可憐な笑顔を思い出そうとしてみたけどうまくいきそうにもない。3000円分の食事券を握りしめてふと空を仰ぐと、最後の大会の日みたいな澄み渡った青が眩しい。第2駐車場の一番奥を目指して俺は思いっきり走り始めた。

0 件のコメント: